最先端超伝導検出器で探るミュオン原子形成過程の全貌 -負ミュオン・電子・原子核の織り成すフェムト秒ダイナミクス-

2021年7月26日
東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構(Kavli IPMU)

 

1. 発表概要
東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構 (Kavli IPMU)の高橋忠幸 (たかはし ただゆき) 教授はじめとする Kavli IPMU の研究者も参加する、理化学研究所の奥村拓馬特別研究員及び東俊行主任研究員を中心とする国際共同研究グループは、最先端X線検出器である超伝導転移端マイクロカロリメータ (TES) [注1]を用いて、「ミュオン原子 [注2]」から放出される「電子特性X線 [注3]」のエネルギースペクトルを精密に測定し、ミュオン原子形成過程のダイナミクスの全貌を明らかにしました。本研究成果は、負ミュオン [注2] ・電子・原子核から構成されるエキゾチック量子少数多体系 [注4] のダイナミクスという新たな研究分野の開拓につながると期待できます。負ミュオンが金属の鉄の中に打ち込まれると、負ミュオンと鉄原子核で構成されるミュオン鉄原子が生成されます。今回、国際共同研究グループは宇宙 X 線観測などに向けて開発されてきた TES を大強度陽子加速器施設 J-PARC 物質・生命科学実験施設 MLF [注5] に持ち込み、ミュオン鉄原子から放出される電子特性 X 線を精密測定しました。TES 検出器の高いエネルギー分解能により、ミュオン鉄原子による電子特性 X 線のエネルギースペクトルが、1本の鋭いピークではなく、幅広い非対称な構造を持つことが分かりました。また、このスペクトル構造からミュオン原子形成過程における負ミュオン・束縛電子 [注6] のフェムト秒ダイナミクスの解明に成功しました。本研究は、米国物理学会の発行する米国物理学専門誌 フィジカル・レビュー・レター誌 (Physical Review Letters) の注目論文 (Editors’ Suggestion) に選ばれました。論文はオンライン版(7月27日付)で掲載されます。

 

2. 発表概要
【背景】
ミュオン (ミュー粒子) は、1930年代に宇宙線から発見された電子よりも約200倍重い素粒子です。現在は加速器で人工的に生成でき、ビームとして取り出すことで、さまざまな科学研究に用いられています。正または負の電荷を持つミュオンが存在しますが、負ミュオンは物質中では「重い電子」として振る舞います。原子は原子核とその周りを回る電子で構成されますが、原子核と一つの負ミュオンで「ミュオン原子」と呼ばれるエキゾチックな原子を作ることができます (図1)。

ミュオン原子の最大の特徴は、束縛ミュオン [注6] の軌道半径が束縛電子の軌道半径の約200分の1であり、原子核に極めて接近していることです。これまでミュオン原子は、原子核の大きさの決定や基礎物理学の検証のために広く研究されてきました。一つの負ミュオンが原子に近づくと、負ミュオンは初め、原子の励起準位 [注7] 軌道に捕獲されます。続いて、原子内のたくさんの束縛電子を弾き飛ばしながら、励起準位から下の準位へ次々に脱励起 [注7] していきます。一方、負ミュオンにより生じた原子内の空の電子軌道は、上の準位の束縛電子や負ミュオンの周囲の媒質に含まれる電子により再充填されていきます (図1)。

ミュオン原子の形成では、負ミュオンや電子が関わるこれらの過程が、数十フェムト秒 (fs、1 fs は1000兆分の1秒) という短い時間の間に立て続けに起こります。そのため、これまでミュオン原子形成過程のダイナミクスを捉える実験的手法は開発されておらず、具体的に負ミュオンがどのように移動し、それに伴い電子の配置や数がどのように変化していくのか、その全貌は分かっていませんでした。

 

【研究手法・成果】
Kavli IPMU の高橋忠幸 (たかはし ただゆき) 主任研究者/教授、武田伸一郎 (たけだ しんいちろう) 特任助教、桂川 美穂 (かつらがわ みほ) 特任研究員、Pietro Caradonna (ピエトロ・カラドナ) 特任研究員 (研究当時) 、大学院生 (研究当時) の峰海里 (みね かいり) さんも参加する、理化学研究所の研究者を中心とした国際共同研究グループは、脱励起の際にミュオン原子が放出する「電子特性 X 線」のエネルギーに着目しました。このエネルギーは、X 線放出時のミュオン原子内の束縛電子の配置や数、さらにミュオン軌道などの状態を反映するため、電子特性 X 線のエネルギースペクトルを精密に測定できれば、その形状からミュオン原子形成過程のダイナミクスが分かります。しかし、電子特性 X 線が持つエネルギーの数十電子ボルト (eV) 程度の違いを測定したいのに対し、典型的な X 線検出器である半導体検出器のエネルギー分解能は数千 eV の X 線に対して数百 eV です。そのためこれまでは、数十電子ボルトの細かなピークを捉えることはできず、この分解能の不足により、電子特性 X 線のスペクトル形状の精密測定は困難でした。
 

そこで、宇宙 X 線観測などに向けて開発されてきた高分解能 X 線検出器の超伝導転移端マイクロカロリメータ (TES) を新たに導入し、金属の鉄を標的に負ミュオンを打ち込み、生成されたミュオン鉄原子から放出される電子特性X線を測定しました。実験は、世界最高強度の低速ミュオンビームを得ることができる、茨城県東海村の大強度陽子加速器施設 J-PARC で行いました。

 

実験の結果、従来よりも1桁以上高いエネルギー分解能を実現し (半値幅 [注8] 5.2 eV)、ミュオン鉄原子から放出される電子特性 KαX 線、KβX 線 [注9] のスペクトルが、それぞれ200 eV 程度の広がりを持つ非対称な形状であることを世界で初めて突き止めました (図2)。また、ハイパーサテライト (Khα) X 線 [注9] と呼ばれる電子基底準位に2個穴が空いている場合に放出される電子特性 X 線も発見しました (図2)。

時々刻々と変化していく束縛電子や束縛ミュオンの状態により、電子特性 X 線のエネルギーが変化し、それらが重なり合った結果、電子特性 X 線のスペクトルは幅広い非対称な構造を形成すると考えられます。ミュオン原子形成過程のダイナミクスを解明するために、多配置ディラック・フォック法 [注10] により各時刻における電子特性 X 線エネルギーを計算し、電子特性 X 線スペクトルをシミュレーションしました。実験結果の X 線スペクトルの形状とシミュレーション結果を照らし合わせたところ、ミュオンは鉄原子に捕獲された後、30 fs 程度でエネルギーの最も低い基底準位に到達することが分かりました (図3)。具体的には、最初の6 fs で鉄原子の全束縛電子26個のうち7~8個ほどは弾き飛ばされますが、周囲の鉄原子から比較的ゆっくりと再充填され、およそ30 fs で元の状態に戻ります。この再充填の速度は、実験結果との比較から0.35 fs-1である (つまり、ミュオン鉄原子への電子移動が2.9 fsに1回の割合で起こる) であることを突き止めました。

 

【今後の期待】
本研究では、最先端の検出器である TES 検出器を導入することで、ミュオン鉄原子から放出される電子特性 X 線のスペクトルを世界で初めて精密測定しました。そして得られたスペクトル形状を手掛かりに、これまで未知であったミュオン原子形成過程の全貌を解明しました。ミュオン原子形成過程は fs スケールの非常に速い現象であり、そのダイナミクスを捉えたのは本研究が初めてです。本成果は、ミュオン原子をはじめとしたエキゾチックな量子少数多体系のダイナミクスという、新たな研究分野の開拓に貢献するものと期待できます。

本手法は広い対象に適用が可能であり、ここから得られるさまざまな物質における電子充填速度は物質の物性に敏感なプローブになり得ると考えられます。今後は鉄以外の金属だけでなく、絶縁体などに適用することで、新たな物性研究プローブとしての可能性を探索したいと研究者達は考えています。

また、ミュオン原子は極限環境下における基礎物理を検証する舞台として期待されていますが、その際ミュオン原子の束縛電子の有無や個数が実験精度を支配します。本研究により、ミュオン原子形成過程におけるこれらの時間変化が明らかになったことで、ミュオン原子を用いた実験精度の大きな向上が見込まれます。


今回の研究成果について、Kavli IPMU の高橋忠幸 (たかはし ただゆき) 主任研究者/教授は下記のように述べています。
「この実験は、私が領域代表を務める新学術領域研究プロジェクト (※関連リンク参照) の一環として実施されたものです。このプロジェクトは、異なる分野の研究者それぞれの活動を横に繋いで連携させ、これまで前例の無いような学際研究を行うことを特徴の一つとしています。そのため今回、硬X線およびガンマ線検出器を用いて宇宙観測以外の分野に応用する研究を日々行なっている私の研究グループのメンバーに、ミュオンビームの実験にも参加してもらいました。私は本研究においては、研究計画を立て、加速器のビームタイムを確保し、出てきた結果の確認や次の実験計画を立てるといった役割を担いました。」
 

本研究成果については、理化学研究所のプレスリリースのページも併せてご覧ください。

 

3. 発表雑誌
雑誌名: Physical Review Letters
論文タイトル: De-excitation dynamics of muonic atoms revealed by high precision spectroscopy of electronic K x rays

著者:T. Okumura (1), T. Azuma (1), D. A. Bennett (2), P. Caradonna (3), I. Chiu (4), W. B. Doriese (2), M. S. Durkin (2), J. W. Fowler (2), J. D. Gard (2), T. Hashimoto (5), R. Hayakawa (6), G. C. Hilton (2), Y. Ichinohe (7), P. Indelicato (8), T. Isobe (9), S. Kanda (10), D. Kato (11), M. Katsuragawa (3), N. Kawamura (10), Y. Kino (12), M. K. Kubo (13), K. Mine (3), Y. Miyake (10), K. M. Morgan (2), K. Ninomiya (4), H. Noda (14), G. C. O’Neil (2), S. Okada (1), K. Okutsu (12), T. Osawa (15), N. Paul (8), C. D. Reintsema (2), D. R. Schmidt (2), K. Shimomura (10), P. Strasser (10), H. Suda (6), D. S. Swetz (2), T. Takahashi (3), S. Takeda (3), S. Takeshita (10), M. Tampo (10), H. Tatsuno (6), X. M. Tong (16), Y. Ueno (1), J. N. Ullom (2), S. Watanabe (17), S. Yamada (7)

著者所属:
1. Atomic, Molecular and Optical Physics Laboratory, RIKEN, Wako 351-0198, Japan
2. National Institute of Standards and Technology, Boulder, CO 80305, USA
3. Kavli IPMU (WPI), The University of Tokyo, Kashiwa, Chiba 277-8583, Japan
4. Department of Chemistry, Osaka University, Toyonaka, Osaka 560-0043, Japan
5. Advanced Science Research Center (ASRC), Japan Atomic Energy Agency (JAEA), Tokai 319-1184, Japan
6. Department of Physics, Tokyo Metropolitan University, Tokyo 192-0397, Japan
7. Department of Physics, Rikkyo University, Tokyo 171-8501, Japan
8. Laboratoire Kastler Brossel, Sorbonne Université, CNRS, ENS-PSL Research University, Collège de France, Case 74, 4, place Jussieu, 75005 Paris, France
9. RIKEN Nishina Center, RIKEN, Wako 351-0198, Japan
10. High Energy Accelerator Research Organization (KEK), Tsukuba, Ibaraki 305-0801, Japan
11. National Institute for Fusion Science (NIFS), Toki, Gifu 509-5292, Japan
12. Department of Chemistry, Tohoku University, Sendai, Miyagi 980-8578, Japan
13. Department of Natural Sciences, College of Liberal Arts, International Christian University, Mitaka, Tokyo 181-8585, Japan
14. Department of Earth and Space Science, Osaka University, Toyonaka, Osaka 560-0043, Japan
15. Materials Sciences Research Center (MSRC), Japan Atomic Energy Agency (JAEA), Tokai 319-1184, Japan
16. Center for Computational Sciences, University of Tsukuba, Tsukuba, Ibaraki 305-8573, Japan
17. Department of Space Astronomy and Astrophysics, Institute of Space and Astronautical Science (ISAS), Japan Aerospace Exploration Agency (JAXA), Sagamihara, Kanagawa 252-5210, Japan

DOI:  10.1103/PhysRevLett.127.053001 (2021年7月27日掲載)
論文のアブストラクト (Physical Review Lettersのページ)

4. 問い合わせ先
(報道に関する連絡先)
東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構 広報担当 小森 真里奈 
E-mail:press_at_ipmu.jp 
TEL: 04-7136-5977
*_at_を@に変更してください
 

5. 用語解説
注1) 超伝導転移端マイクロカロリメータ (TES)
マイクロカロリメータは、物質が X 線を吸収したときの温度上昇から X 線のエネルギーを決定する検出器。超伝導転移端マイクロカロリメータは、超伝導-常伝導の相転移近傍における急峻な電気抵抗の変化を利用して、X 線吸収による温度変化を測定する。超伝導転移を利用することで、わずかな温度変化を大きな抵抗変化として検出できるため、X 線エネルギーの高分解能測定が可能になる。TES は Transition-Edge Sensor の略。

注2) ミュオン原子、負ミュオン
ミュオンは素粒子の一つであり、標準模型における第二世代の荷電レプトンである。正または負の電荷を持つミュオンが存在し、いずれも1/2のスピンを持ち、平均寿命は2.2マイクロ秒である。負ミュオンは、弱い相互作用によって電子、ミューニュートリノおよび反電子ニュートリノに崩壊する。負ミュオンは電子よりも約200倍重く、負ミュオンは電子と同じ負の電荷を持つため、電子と同様に、正の電荷を持つ原子核に束縛され「重い電子」として振る舞う。負ミュオンと原子核により構成される原子をミュオン原子と呼ぶ。ミュオン原子は、最終的には負ミュオンの寿命、あるいは負ミュオンが原子核に捕獲されることで崩壊する。

注3) 電子特性 X 線
何らかの要因により原子の内側の軌道電子 (内殻電子) が弾き飛ばされると、外側の軌道の電子によって速やかに空いた軌道が補填され、余分なエネルギーが X 線として放出される。この X 線は原子により固有のエネルギーを持つため、電子特性 X 線と呼ばれる。本研究で測定したミュオン鉄原子による電子特性 X 線は、ミュオンが脱励起する際に内殻電子を弾き飛ばした結果放出されたもので、負ミュオン特性 X 線とも呼ばれる。

注4) 量子少数多体系
量子力学に従う複数の粒子から構成される系のこと。ミュオン原子は、負ミュオンと複数の電子および原子核により構成される量子少数多体系である。このような系は、複数の粒子が互いに力を及ぼし合い強く相関するため、理論的な取り扱いが難しい。

注5) 大強度陽子加速器施設J-PARC物質・生命科学実験施設 MLF
J-PARC は茨城県東海村にある加速器施設で、世界最高レベルの強度の陽子ビームを利用して、素粒子・原子物理学、物質・生命科学などさまざまな分野の先端研究が行われている。J-PARC 内の物質・生命科学実験施設 MLFに、世界最高強度のミュオンビームを発生させることができるミュオン科学実験施設 MUSE がある。

注6) 束縛ミュオン、束縛電子
原子内で原子核に空間的に束縛された状態にある電子を束縛電子と呼ぶ。そのエネルギー準位に応じた殻構造をとり、低い方から K 殻、L 殻、M 殻と名付けられている。負ミュオンも同様に原子核に束縛された状態をとり、束縛ミュオンと呼ぶ。ただし、質量が電子より約200倍重いため、その殻構造の大きさは200分の1に小さくなり、結合エネルギーは200倍になる。

注7) 励起準位、脱励起
量子力学によると、原子核に束縛されたミュオンや電子は離散的な軌道を運動しなければならず、それに伴いそのエネルギーも同様に離散化 (量子化) される。エネルギーが最も低い軌道に粒子が存在するとき、その粒子は基底準位にあるといい、それよりも高いエネルギーの軌道に存在するとき、その粒子は励起準位にあるという。一般にエネルギーが高い準位ほど軌道半径が大きく、不安定である。エネルギーが高い準位から低い準位へ粒子が遷移することを脱励起と呼ぶ。ミュオン原子の場合、脱励起の際に生じる余分なエネルギーは主に束縛電子を弾き飛ばすのに用いられる。

注8) 半値幅
ある観測値の半分の値の時の横幅を示す。検出器における半値幅では、この値が小さいほど分解能の高い観測ができることを示す。本研究で用いた TES は、半値幅5.2 eV を実現しており、従来の半導体検出器の持つ数百 eV の分解能を遥かにしのぐことから、構造をもった幅広の電子特性 K-X 線のピークを捉えることができた。

注9) KαX 線、KβX 線、ハイパーサテライト X 線 Khα
KαX 線、KβX 線は、最もエネルギーの低い基底準位の軌道に穴が1個空き、そこに周囲から電子が再充填される際に放出される電子特性 X 線のこと。どの軌道の電子が空の軌道を補填したかによって X 線のエネルギーが異なり、エネルギーが低い順に KαX 線、KβX 線と呼ばれる。ハイパーサテライト X 線 Khαは、基底準位の軌道に穴が2個空いた場合に放出される電子特性 X 線である。

注10) 多配置ディラック・フォック法
相対性理論を考慮して多電子系のエネルギーを計算する量子力学手法のうちの一つ。さまざまな電子配置の間の相互作用を考慮することで、量子少数多体系における電子間の相関を取り入れたエネルギー計算ができる。

 

関連リンク
宇宙観測検出器と量子ビームの出会い。新たな応用への架け橋。(文部科学省 科学研究費助成事業 新学術領域研究)

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