村山斉

Hitoshi MurayamaHitoshi Murayama

数物連携宇宙研究機構の初代機構長。素粒子理論におけるリーダーの一人であると共に、基礎科学分野における若き指導者の一人でもある。 1991年に東京大学で博士の学位取得後、1993年以来アメリカ在住。2008年1月に帰国、機構長着任。 

子供のような好奇心 

研究者の心は子供のときのままです。小さいときに夜空を見上げて宇宙の果てしなさ、自分の小ささをしみじみと感じた経験は皆さんにもあると思います。「いったい宇宙はどこまで広がっているのだろう? 」、「宇宙には始まりがあったのかな? 」、「星は何で出来ていて、どうして光っているのだろう? 」。私たちはこんな子供時代の素朴な疑問を追いかけ続けています。

私が物理学の勉強を始めてまず驚いたことは、先人達のとてつもない努力によって、こうした数々の素朴な疑問が解かれていたことです。どんどん勉強するにつれて、「ああ、そうか! 」と納得することの嬉しさのとりこになっていきました。 

太陽はなぜ光る? 

例えば、星は何で出来ていて、どうして光っているのか?  実際に星のそばへ行ってそのサンプルを採ってきたり、星の中へ入っていって光が出る仕組みを調べたりすることは、もちろんできません。ですが、星から出る光の「色」を詳しく調べ、実験室でさまざまな原子・分子から出る光の「色」と比べることで、サンプルを採らなくても星が何で出来ているかは調べることができました。その結果、太陽を含めて星はほとんど水素でできていることがわかりました。科学ではこのように、直接触ることができない物をなんとかして調べなければならない、ということがよくあります。それでは、その水素がどうして光っているのでしょうか?

手がかりはアインシュタインの有名な式、E=mc2 にありました。物の重さ(m)というのは実はエネルギー(E)だというのです。それで、太陽は自身の重さをエネルギーに変えることで光っているのだろう、ということになりました。だとすると、太陽は毎秒400 万トンも軽くなっているはずです。でも、どうしてこの考えが正しいとわかるのでしょうか?  実は、水素の重さがエネルギーに変わるときに副産物としてニュートリノという粒子が放出されます。日本のカミオカンデでそのニュートリノを捕まえることに成功し、この考え方の決定的証拠が見つかりました。こうして研究者は、光やニュートリノを使う観測、そしてアインシュタインの相対性理論や量子場の理論を総動員することで、直接触ることのできない星の中の仕組みまで調べてきたわけです。 

ビッグバン 

また、宇宙が大爆発で始まったことは「ビッグバン理論」としてよく知られています。誰も宇宙の始まりに戻って見てきたわけではありませんが、これは大爆発のいわば「化石」を見ることでわかりました。大爆発のときに出た光がいまでも漆黒の宇宙空間の中を飛び回っているのです。ただし、光も宇宙の膨張で引き延ばされて、目に見える光ではなく電子レンジで使われているのと同じマイクロ波になってしまっています。この「化石」は特に宇宙の形、大きさ、年齢、そしてその中にあるエネルギーの内訳をよく知っているので、たいへん興味深いものです。特に21世紀に入ってから、人工衛星とテクノロジーの進歩のお蔭でとても詳しく調べることができるようになり、さまざまなことがわかってきました。例えば、宇宙の年齢は 137億年、形は「真っ平ら」です。 

新たな謎 

一方、さらに勉強を続けていくと、逆に「まだこんなこともわかっていないのか! 」という驚きもあります。星が何で出来ているのかはわかりましたが、実は宇宙が何で出来ているのかは、まるっきりわかっていないのです。すでに触れた「化石」のマイクロ波や、さまざまな観測と理論の比較から、宇宙のエネルギーの中で私たちが知っている物質(原子)は実は5%に満たないことが、過去10年ではっきりしました。残りの20%は得体の知れない「暗黒物質」、さらに摩訶不思議な宇宙の75%を占めるのが「暗黒エネルギー」。どちらも名前はついているものの、その正体はまったくわかっていません。 

IPMUの取り組み 

数物連携宇宙研究機構(IPMU)は、「宇宙はどうやって始まったのか? 」、「何で出来ているのだろう? 」、「どうして私たちは宇宙に存在しているのか? 」などの素朴な疑問に迫るために発足しました。直接宇宙の始まりをやり直すわけにはいきませんし、なにせ「暗黒」のものは目にも見えません。どれも非常に難しい問題です。ですから、IPMUはさまざまな分野(天文、素粒子物理、数学)の第一線の研究者を集め、さまざまな手法を総動員して、共同で問題を解いていこうと考えています。また、人類共通の大疑問を解くには、日本人だけではなく、世界中から研究者を集めて当たっていかなくてはなりません。そのため日本にありながら、IPMUの公用語は英語です。そして新しい物の見方を生み出すためには、頭が柔らかく、ひとつの分野にとらわれない若い力が大事です。

例えば、宇宙の始まりは「特異点」と言われ、そこでは私たちの知っている物理法則が使えません。まず、あまりにも強い重力の効果のため、アインシュタインの相対性理論を使わなくてはなりません。一方、とてつもないエネルギーのため、現代物理学のもうひとつの柱である量子場の理論も必要です。ところが、この2つの理論をいっしょに使おうとすると、訳の分からない変な答えばかりが出てきます。例えば、宇宙は0.000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,001 cmよりも大きくなれるはずがない、という結論が出たりします。実際には、宇宙は10,000,000,000,000,0 00,000,000,000,000cmよりも大きいですから、これは明らかに大間違いです。

この問題を解決するために有望視されているのがストリング理論(弦理論・ひも理論とも言う)です。ストリング理論は、相対性理論と量子場の理論を兼ね備えていて、なおかつ矛盾のない計算ができることがわかっています。とはいうものの、光や電子が粒々ではなく、小さくてもゴムひものような広がった物だというので、実際の計算がとても難しくなります。そこで、最先端の数学を駆使しなくてはいけないことになります。また、ストリング理論の研究から数学者が刺激を受け、数学の新しい分野が切り開かれてきています。こうして物理学と数学が互いに助け合いながら進歩していくのです。普通の大学の縦割りの環境では、数学者と物理学者が出会い、共同で研究する機会がなかなか生まれません。機構では、初めから数学者と物理学者がいっしょにいて、しょっちゅう顔を合わせる環境をつくります。こうして宇宙の始まりといった、素朴でありながら超難問に迫っていきます。

また、天文学は空を見上げて天体や銀河といった大きな物を対象にしていますし、素粒子物理学はものの成り立ちをとことん小さな部品に分けて調べる学問ですから、まったく正反対なもので、つながりはほとんどありませんでした。しかし、暗黒物質は私たちの銀河系に満ち満ちていることが精密な天体観測からはっきりした結果、これは宇宙がまだ誕生して1兆分の1 秒というごくごく若いときに創られた素粒子だと考えられるようになりました。「宇宙が何で出来ているのか」という問題に迫るには、やはり普通の大学の環境では難しいので、分野を超えた共同研究が必要になってきます。例えば、IPMUでは旧神岡鉱山の地下に新しい実験装置をつくり、銀河の中の暗黒物質を直接捕らえようという計画を推進しています。また、今年始まるLHCという世界最大の粒子加速器を使った実験では、暗黒エネルギーを実験室で創りだそうとしています。IPMUでは、この複雑で大規模なデータから最大限の情報を引き出すための研究をしていきます。一方、宇宙の中の何千万個もの銀河の観測をして、暗黒エネルギーの性質を調べようという計画も進めています。こうした観測・実験から得られるデータを突き合わせ、さらに理論物理学と数学を組み合わせることで、宇宙の神秘に迫っていくことがIPMUの考え方です。 

何の役に立つのか? 

宇宙の仕組みを少しずつでも理解できると胸がすっきりしますが、日ごろの生活の役に立ったり、地球温暖化が防げるわけではありません。ですが、間接的に役に立つことはあります。こうした基礎研究のために開発したテクノロジーが医学や情報科学に役立った例はたくさんあります。例えば、ウェブは研究者がデータを交換するために開発したものが全世界に普及しました。また、素朴な疑問は中高生にもわかりやすく、科学や数学を志すきっかけになります。「理科離れ」が危惧されている今、技術立国日本の次の世代を育てるためにも一役買うはずです。 

結び 

まだ発足して半年にもなりませんが、すでにIPMU にはさまざまな分野の、特に若い元気な研究者が世界中から集まってきています。子供時代からの素朴な疑問が、今後10年ほどの間に少しでも解けていくのが楽しみです。