数学

数学の歴史は、論理や知識への挑戦で人類が辿ってきた歴史とほぼ同等ということができる。数学は概念の陰にひそむ真実を抽出する。数をかぞえたり長さや体積を数える、といったような物理学が日常必要とする道具として始まった数学は、その後ユークリッド幾何学や代数方程式の解の有無の問題などにみられたように、実用的な部分が消え純粋な人類の知の追究へと変わっていったのである。たとえば、フェルマーの生涯をかけた研究であったディオファントス方程式が整数解を持つかどうかなど我々の生活に何の関係もない。

17世紀にニュートンは微分積分学を確立して自然界の力学法則を記述する言語と手法を与えた。数学と物理学との遭遇である。数学が科学分野、時には社会全体、に問題解決のための共通言語と手法を提供した良い例である。それが回りまわって数学者が始めに抱いた概念の確立を手助けするのである。特に最近の数学と物理学の交流は著しい。

この傾向はますます重要になり、20世紀の数学の発展は物理学の影響によるところがたいへん大きい。物理学におけるゲージ理論、量子場理論、一般相対論、超弦理論は代数幾何、微分幾何、位相幾何、表現論、代数解析、整数論などの数学分野に大きな衝撃を与えた。

しかし、このように大きな物理学の影響にもかかわらず、数学それ自体に現れる諸問題は純粋に数学の中で取り組まれてきたし、今後もそのように進むだろう。最近のよい例はフェルマー予想の解決である。また、純粋に数学的に発展した手法が物理学に応用された幾つかの例もある。

常に物理学者がそばにいるIPMUは数学者にとって例外的な研究環境を提供する。ここの数学者は彼らとの活発な議論を通して物理学と数学の両方を発展させていくことが可能である。しかし、数学者にとっての重点はあくまでも数学本来への興味であり、数学分野の研究が最優先されることに変わりはない。

幾何

幾何学とは、数学的に定義された幾何学図形を研究する学問である。例えば、位相空間、可微分多様体、リーマン多様体、シンプレクティック多様体、複素多様体、代数多様体といった空間が研究対象となる。これらは単なる幾何的図形ではなく、それぞれ重要な数学的構造を有しており、それ故に内包する理論は非常に豊かなものとなる。また幾何学は宇宙を記述する上でも重要な役割を果たしており、物理学に大きく寄与してきた。例えばリーマン多様体は、アインシュタインの一般相対性理論を展開する上で欠かせないものとなっている。その一方で、近年は超弦理論の影響により、これらの幾何学理論の間に深い関係が存在する事が明らかになってきた。最も顕著な例は、シンプレクティック多様体と代数多様体の間の双対性を与えるミラー対称性である。これらは、従来は異なる数学分野として発展してきたが、異なるタイプの超弦理論の間の双対性から互いに等価であると予想されている。IPMUでの幾何学の研究テーマの一つがミラー対称性である。

ミラー対称性で重要な役割を果たすのが、3次元カラビ・ヤウ多様体である。これはリッチ平坦な計量を持つ複素3次元(実6次元)の代数多様体である。超弦理論においては我々の住む宇宙は10次元であると考えられており、6次元の余剰次元として3次元カラビ・ヤウ多様体が現れると考えられている。ミラー対称性は、3次元カラビ・ヤウ多様体の周期の理論と、そのミラー多様体上の曲線の数え上げ理論(Gromov-Witten 不変量)の間の等価性を予言する。IPMUにはそれぞれの側での専門家がおり、精力的にミラー対称性が研究されている。K. Saitoは長年周期の理論を研究しており、特異点の変形空間上に入るフロベ二ウス構造を発見した第一人者である。このフロベニウス構造は現在、ミラー対称性を記述する上で欠かせないものとなっている。T. MilanovはGromov-Witten不変量の専門家であり、Gromov-Witten不変量が定めるフロベニウス構造について精力的に研究している。

ミラー対称性を記述する別の方法は、ホモロジー代数を用いるものである。これは1994年にコンセビッチによって提唱された方法であり、カラビ・ヤウ多様体の連接層の導来圏とそのミラー多様体の導来深谷圏の間の同値として定式化される。A. Bondalは導来圏の研究の第一人者であり、ホモロジカルなミラー対称性について精力的に研究している。彼はexceptional collectionや導来圏のenhancementといった概念を開発しており、これらは現在導来圏を研究する上で欠かせないものとなっている。また、Y. Todaは導来圏の安定性条件や、安定対象を数え上げるDonaldson-Thomas型の不変量について研究している。これは超弦理論における「BPS状態の数え上げ」に対応するものであり、超弦理論においても興味深い研究対象である。

IPMUにおける幾何学の研究はミラー対称性に限ったものではなく、様々な側面で幾何学が研究されている。T. Kobayashiは離散群の非リーマン等質空間への作用を研究しており、新しい幾何学的視点で独創的な理論を構築している。特に、AdS多様体の一般化である不定値符号の局所対称空間は高次元でも剛性定理が成り立たないことを発見し、最近は、その変形空間を取り込んだスペクトル幾何の可能性に挑戦している。また、T. Kohnoは低次元多様体の量子不変量を研究しており、これは可積分系や共形場理論とも関わる研究課題である。彼は組みひも群のホモロジー表現の量子群による対称性を明らかにし、写像類群の量子表現の像を決定した。この様にIPMUにおける幾何学の研究は多彩なものになっており、これらを融合する事によって更なるブレイクスルーを目指している。

代数

元々,代数学は数や方程式の研究をする分野であった。実際18世紀までにおける中心的な問題は高次方程式の解の記述であった。19世紀にガロワによって方程式の裏側に潜む対称性が発見されることとなる―“群”の発明である。この発見以降,代数学は物事の裏に潜む深い構造を理解する学問となった。

“深い構造”の例としてホモロジー代数が挙げられる。ホモロジー代数は幾何学から生まれており,元来は例えばドーナッツの穴の数を数えるような不変量であった。それがホモロジー代数にまで昇華されるようになるともはや幾何学的解釈が難しい不変量が出てくる。例えば導来圏がその例である。元々は(コ)ホモロジーを取るための道具であった導来圏はそれ自体に興味がうつり,現在では盛んに研究される分野になっている。IPMUにおける数学者も導来圏には特段の興味を持っており,例えば,代数多様体の連接層から得られる導来圏がどのぐらい多様体自身の情報を持っているかを調べるのはミラー対称性との関連でも重要であり,ボンダル氏,戸田氏が精力的に研究を行っているのはGeometryの項でも書いたとおりである。さらには,導来圏やそれを抽象化した三角圏に構造を付け加え多様体自身の情報をさらに持った枠組み,例えばdifferential graded algebra,の構築にも力を入れている。

一方で群や群作用の研究も行われている。群は元々方程式の解に潜む対称性を記述する数学的言語であったが,現在では数学のみならず,物理学や結晶学にまで登場する現代科学必須の道具である。群は表現論を通じて研究されることが多い。小林氏の仕事で群は主人公の一人であるが,例えばreductive groupの無限次元表現の分岐則の研究などを独自の全く新しい視点から行っている。また河野氏は組紐群の研究から共形場理論との関わりに関する研究もしている。

また,元来の代数学の目的である方程式を研究している研究者もIPMUにはいる。現代の数論の究極の目標の一つとされているのはLanglands programとよばれる枠組みで,二つの全く違う表現の集合が自然な意味で一致するだろうという予想である。これはとても巨大な予想でFermatの最終予想さえもLanglands programのとても小さい一部でしかないと言える。このLanglands programを実現するのは極めて困難と思われているが,そこから派生したLocal Langlandsや関数体Langlandsに関しては近藤氏や阿部氏が研究を行っている。Geometric Langlands programと物理学におけるS双対性との関連もいわれ始め,現在重要かつ活発な分野である。

以上のように,IPMUでは多岐にわたり代数学の研究が行われていることが分かる。代数学が直接的に宇宙を研究している学問でないことは明白である。さらに,ほとんどのIPMUの代数学者は物理学への特段の興味があるわけではない。しかし,全く目的意識の違う分野が融合したときのインパクトはとても大きい。我々は“群”のような数学のみならず自然界いたるところで存在している巨大な構造を再び発見できるよう日々努力している。

グループメンバー