対称性の自発的な破れの統一理論 -南部陽一郎以来の50年間の謎を解明-

2012年6月8日

東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構(略称:Kavli IPMU)

磁石や結晶など、自然界では対称性が「自発的に破れる」ことで起きる現象がたくさんあります。南部陽一郎博士はこの考え方を素粒子物理学で提唱、特にエネルギーのとても小さい波が現れることを指摘、 後のヒッグス粒子を示唆して、2008年のノーベル賞に輝きました。しかし南部理論は温度や密度のある初期宇宙や身の回りの現象にはそのままでは適用でき ず、その「例外」も多く知られています。
今回、 東京大学国際高等研究所 カブリ数物連携宇宙研究機構(Kavli IPMU)の村山斉機構長と米国カリフォルニア大学バークレー校の大学院生 渡辺悠樹さんは、南部理論を拡張して、こうした「例外」をすべて統一的に扱える理論を提案し、50年来の懸案を解明しました。この研究論文は6月21日に米国のPhysical Review Letters誌に、幅広い分野への応用が期待できる論文である “Editor’s  Suggestion” として掲載されます。またPhysical Reviewに掲載された論文の中から特に注目すべき論文を選んで解説される"Physics Synopsis" に選ばれました。

【発表雑誌】 米国雑誌  Physical Review Letters online版 2012年 6月21日号掲載



【論文タイトル】 "Unified Description of Nambu-Goldstone Bosons without Lorentz Invariance"

【著者】 渡辺悠樹(わたなべ はるき) カリフォルニア大学バークレー校 大学院生
       村山斉 (むらやま ひとし)  東京大学国際高等研究所 カブリ数物連携宇宙研究機構 機構長・特任教授/ カリフォルニア大学バークレー校 マックアダムス冠教授

【参考サイト】
ノーベル委員会による南部理論の解説:http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/2008/popular-physicsprize2008.pdf
 

【研究概要】 
熱い火の玉ビッグバンで始まった宇宙は徐々に冷えてきました。丁度水を冷やすと氷になるように、宇宙も「相転移」を何度も経て来ました。そして水が氷になると「対称性が自発的に破れる」のと同じように、ビッグバン以来宇宙は対称性の破れを幾度も繰り返しながら現在の姿に至ったと考えられています。この「自発的対称性の破れ」に伴って何が起きるのかを最初に指摘したのが南部陽一郎の理論で、2008年のノーベル賞に輝きました。

自発的対称性の破れ
 洗濯物をラックに掛けるときに、最初のシャツを右向きに掛けても左向きに掛けても構いませんが、一度右向きにしてしまうと、何となく次のシャツ も右向きに掛けたくなり、最後には全てのシャツが右向きに並んでいる、ということがあります。つまり、右と左を入れ替える「対称性」が「自発的に破れて」 しまいます。「対称性」とは「どちらでも同じ、構わない」こと、しかし全体を見ると(なぜか)自然とどちらかを選んでしまっていることが「自発的対称性の 破れ」です。同じように人間に右利きが多いのも、心臓が左側にあるのも、本来どちらでも良かったはずで、生物の進化の中で自発的に対称性が破れてきた結果 です。中性子星の内部、実験室の超流動・超伝導物質、冷却した原子のガス、そして宇宙に満ちるヒッグス粒子も、自発的対称性の破れの例で、この考え方は 様々な分野の研究に大きな影響を与えて来ました。

南部理論 ---対称性の破れによって何が起こるか---
 液体の水と結晶の氷でどのような違いがあるでしょうか。液体の水の分子には定まった位置はなく、左右前後に動かしてもなにも変わりません。これ を、「空間の並進対称性」といいます。しかし、氷は水分子がきれいに立方体に並んだ結晶で、一つ一つの分子には決まった位置があります。つまり水にあった 並進対称性が、氷では自発的に破れています。先程の左右の対称性と違い、並進は「少しずつ滑らかに」動かすことができる、「連続的」な対称性です。こうした連続的な対称性が自発的に破れた場合、エネルギーが極わずかで、遠くまで届く波がある、というのが南部理論です。
結晶の端を少し押し込む(並進する)と、押されたところが次の原子を押し、これが波の様に伝わっていきます。これが固体を進む「音」の「縦波」です。同じように結晶の端を手前にずらす(並進する)と、横ずれが波として伝わっていきます。これが音の「横波」です。地震のP波、S波は、それぞれ縦波、横波の例です。



結晶の左端を押し込む(左に並進)すると、押し合いへし合いの波が右へ伝わっていきます。これが音の縦波です。

結晶の左端を手前にずらす(手前に並進)すると、横ずれが波として右へ伝わっていきます。これが音の横波です。

 このように、連続的な対称性が自発的に破れると、破れた対称性に応じて、波が作れます。ミクロな世界の量子力学では波と粒子は同じなので、これを 「南部・ゴールドストーン粒子」といいます。南部理論は、破れた対称性の数だけ南部・ゴールドストーン粒子がある、と指摘したのです。

南部理論の限界
 しかし、1961年に提唱された南部理論は絶対温度零度の真空中で素粒子が反応することを想定して作られたので、そのままでは温度を持ち、密度がある場合には当てはめられません。先程の結晶を伝わる音の場合は問題がないように思えますが、実際南部理論を無理に当てはめると間違った答えがでることも多くあり、南部理論をどう拡張すれば良いのかは50年来いろいろと研究されてきましたが、謎のままでした。
例えば、身近にある磁石は、電子一つ一つのもつ小さな磁石(スピン)が揃ったときにできます。この場合、一つ一つのスピンはどの向きを向いてもよいはずなのに(回転対称性)、ある特定の方向を向いてしまった訳ですから、回転対称性が自発的に破れています。南部理論をそのまま適用すると、左右に傾けたり、前後に傾けたりすると、やはり波が出来るはずですから、二つの波があるはずです。


南部理論によると、スピンを左右に振らすと、波ができるはず。

同じく南部理論によると、スピンを前後に振らすと、違う波ができるはず。

 しかし、理論的にも実験的にも、磁石を伝わる波は一種類しかないことが知られています。これが南部理論を温度や密度をもつ場合に無理に当てはめると、間違った答えが出る例の一つです。

今回の研究成果
今回、渡辺悠樹(わたなべ はるき:カリフォルニア大学バークレー校 大学院生)と村山斉(むらやま ひとし:東京大学国際研究所カブリ数物連携宇宙研究機構 機構長)は、どのような場合にも正しく答えが出るように南部理論を拡張しました。先程のスピンを左右に振らすと、左右だけでなく前後にも触れてぐるぐる回り出し、左右の動きと前後の動きが分けられなくなり、一種類の波しかないことがわかりました。このように、二つの破れた対称性が一緒になって一つの波を作るため、思った数の半分しか波が生まれないのです。


実際にはスピンを振らす波は左右、前後両方の動きを伴う一種類しかない。

また、二つの対称性が一緒になって生み出す波(=南部・ゴールドストーン粒子)は、元々の南部理論で予言されるものと全く異なる性質を示すことが分かりました。この違いは物質の比熱などの性質を大きく左右します。

 更にどのような場合に二つの破れた対称性が一緒になるのか、数学的に条件を与えました。その結果は現代数学で活発に研究されているシンプレクティック幾何学※1で記述されることがわかり、その分類は数学としても研究の対象になっています。逆にこの分野の数学が更に進歩すると、宇宙の相転移で対称性が自発的に破れた場合、どのような波が生まれ、宇宙の構造に影響を与えるのかを分類できるようになるはずです。
こうして、宇宙の研究から、実験室の物質科学まで、今回の研究でわかった理論を使うと、対称性がどう破れるとどのような波が生まれるのかが正確に予言できます。この研究成果は将来的に量子デバイス、スピントロニクスなどにも応用できる可能性も期待できます。
 

【用語解説】
※1 シンプレティック幾何学:  幾何学では色々な図形・空間を研究するが、空間の一点一点を、n個の「座標」で記述する。シンプレクティックな空間とは、その座標が二つずつペアになって、ペアの集まりとして考えられる構造をもつ空間。当然次元は偶数でないといけない。近年ストリング理論など物理学の統 一理論の進展から、シンプレクティック幾何学が重要であるこがわかり、活発に研究されている数学の分野。ここで磁石を伝わる波では、左右の回転と前後の回転がペアになって波を作っており、波の動き方がシンプレクティックな空間に対応する。自発的対称性の破れのこの研究では、更に「部分的に」シンプレクティックな空間で、奇数次元のものも考える必要がわかった。


【この研究成果に対してのコメント】

大栗博司(カリフォルニア工科大学教授、数学と物理学を結びつける研究でアメリカ数学会アイゼンバッド賞を受賞)
「物理を学ぶ大学院生は全員、相対論的量子場の理論で自発的対称性の破れの南部・ゴールドストーン定理を学びます。この定理は質量のない粒子についてのも のなので、非相対論的な場合では状況が違ってくることが考えられます。驚くべきことに、自発的対称性の破れがどういう低エネルギーのスペクトルを生むのかは、渡辺と村山の論文まで一般的に調べられていませんでした。相対論の縛りを外すと南部・ゴールドストーンのラグランジャンに新たな項を導入することがで きますが、この論文ではその可能性を完全に分類しました。この結果は物性物理学から宇宙論まで、とても広い応用があると期待されます。この美しい論文の最後には分類の数学的な定式が議論されている短い節があります。これは数理物理学の素晴らしい成果です。」

Sir Anthony James Leggett(イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校教授、液体ヘリウムの研究で2003年ノーベル物理学賞受賞)
「対称性の自発的な破れがあると、素粒子物理でも物性物理でも、南部・ゴールドストーン粒子と呼ばれる長波長の集団励起が存在することは、長年重要な帰結としてよく知られてきました。しかし、素粒子物理学ではローレンツ不変性のためこの粒子の数と性質は比較的簡単に分かるものの、物性物理学ではよくわかっていませんでした。一つ一つの例については多くの場合その性質とスペクトルを計算することができますが、一般的に使えるテクニックはありませんでした。渡辺と村山はPhysical Review Letters の論文で、破れた対称性の数、その交換子の行列の階数、南部・ゴールドストーン粒子の数の間に、美しい関係式を導き出しました。この関係式は今まで知られている全てのケースについて正しい答えを出し、今後発見される全ての長距離秩序について議論できるシンプルな枠組みになっています。」