機構長から

 

(Kavli IPMU 年次報告書2016の機構長巻頭言より:原文は英語です)  

村山斉  


私は今、ここにいることに驚いています。この年次報告書は2016年度の活動を網羅しているのですが、WPIからの支援は2016年度末の2017年3月31日付で終了することになっていました。これまでに私達が地図から消えてしまわなかったのはなぜでしょうか?数物連携宇宙研究機構(IPMU) は2007年10月1日に発足しました。WPIの支援は9年半と約束されていました。この支援期間の終わり前には、みんな居なくなってしまうのかもしれないという懸念を抱きつつも、優れた研究者をリクルートしてきたのです。この期間を乗り切り、そしてこの先が見えるようになったのは、多くの力の結集と偶然によるものです。
 

中村健蔵さんはちょうど高エネルギー加速器研究機構 (KEK) の定年退職を目前にして、2007年10月16日にKavli IPMUの事務部門長として来てくれました。彼はIPMUの被雇用者第一号です。彼は有能な職員を集め、大半が海外からとなる多くの研究者の着任に備え始めました。全ての主任研究者が、新しい研究所の設立を広く宣伝することに多大な尽力をし、沢山の求人を告知してくれました。同時に、我々の研究プロジェクトの多くが、特に注目すべきはすばる望遠鏡で実施するハイパー・シュプリーム・カム (HSC)ですが、資金が足りない中で始まりました。私はといえばバークレーでの義務のため、私の雇用は2008年1月1日からはじめることになりました。中村さんが、精力的に動いてくれたおかげで、私が来日する数日前に、やっと雇用手続きが認められました。
 

当初はほとんどが日本人でしたが、沢山の若い教員がすぐにやって来はじめました。中村さんと私で、旧来のシステムから新しく開かれた前向きなシステムへと考えを変えていくよう、職員に働きかけました。驚くべきことに、職員達はむしろ新しい挑戦に取り組みたがりました。そしてすぐに、職員達が作り上げたウェブサイトが、総長賞を受賞しました。これは、IPMUが何やら良い所になりそうだと大学に初めて認められた瞬間でした。けれども、海外からの若い研究員達が2008年秋に着任し始めた頃、かなりの混乱や試行錯誤がありました。研究者達が着任してすぐに研究に取りかかれるよう、職員達の献身により、海外研究者へ手厚いサポートを行うシステムがなんとか作り上げられました。当初いた研究員の大半が、IPMUでの優れた研究成果によって、世界各地で既に教員となっています。彼らの成功のお陰でIPMUは世界中で知られるようになっていき、より沢山の人がワークショップへの参加や、IPMUに着任するためやって来るようになりました。そして私達は、海外の教員をも惹きつけるようになり始めたのです。この勢いが大学の経営陣の注目を集めることとなり、IPMUを東京大学の組織に収める東京大学国際高等研究所 (TODIAS) という枠組みが作られました。このTODIASは、後にUTIASへと改称することになる枠組みです。これは単に組織図上の問題を本来解決するためのものでしたが、後に決定的な重要性を持つようになりました。

西尾副学長の英断のお陰で、前もって間接経費の10年分を借り入れることで、素晴らしい建物を建てられました。岡村副学長の強いサポートでは、日々のティータイムや柔軟性のある雇用システムを作り上げることができました。前の総長だった小宮山さんや濱田さんのお蔭で、WPI予算の年限付きという制約によらない、任期無しのポジションを得られるようになりました。カブリ財団はこのような発展を目の当たりにして、IPMUを日本で初めてのカブリ研究所にすることを決断してくれました。そうした寄附者にちなんだ名前、しかも海外からの寄付者の名前を冠につけた日本で最初の研究所となりました。カブリ財団から寄附を受けたことで、新天地が開かれ、より研究所の知名度が上がることになりました。2012年にIPMUはKavli IPMUになったのです。実は、カブリ財団はもっと早くIPMUをカブリ研究所にしようとしてくれていたのですが、2008年のリーマンショックで遅れてしまいました。
 

でも、リーマンショックには助けられた部分もあります。日本政府が経済刺激策を講じた中に、30人の個人にFIRSTと呼ばれる大きな予算を配分するというプログラムがありました。幸運なことにFIRSTの一人になんとか選ばれることができました。そうでなければ、今、主要なプロジェクトとなっているハイパー・シュプリーム・カム (HSC) は完成しなかったであろうし、次のメインプロジェクトとなる超広視野分光器のPFSを開始することもできなかったでしょう。
 

また、私達は設立時から一般向けのアウトリーチ活動に熱心に取り組んで来ました。それは、研究資金を支えていただいている一般の方に研究成果を還元したいという責任感からです。こうした活動により期せずして、ボランティアや寄附、ファンになっていただくなどでKavli IPMUに対する一般の方からの強いサポートが生まれる結果となりました。こうしたサポートも一緒となって、私達は2012年12月の中間審査でトップの評価を得られることとなりました。それを踏まえて、当時文科省の審議官だった戸渡さんは、WPIの先を見据えて恒久的予算を取りにいくべきだと勧めてくれました。TODIASの枠組みは、こうした予算申請を行う権利を私達にもたらすことになりました。実現に数年は要しましたが、もし彼のアドバイスがなければ、そのようなリクエストを出すことすらなかったはずです。恒久的資金獲得がこうして始まり、Kavli IPMUはWPI支援の先の展望を得ることができるようになりました。

これまで9回の年次報告書でご紹介しているように、ここの研究者達は世界レベルの研究成果を出し続けています。2015年10月に主任研究員の一人である梶田隆章さんがノーベル物理学賞を受賞したことは、私達にとって大変嬉しいことでした。
 

上記の1つでも欠けていたら、今日私達はここにはいなかったでしょう。