日本の科学の国際的な責任について

 行政刷新会議による「事業仕分け」では先日国立大学運営費交付金を取り上げ、その中で特別研究教育経費についても議論がありました。特別研究教育経費はすばる望遠鏡を始め、スーパーカミオカンデ、カムランド、また素粒子の加速器KEK-B、J-PARCなどの運転経費の財源だと理解しています。その他にも私の知らない多くの重要な施設があるのだと思います。これらは日本が世界に誇り、同様の物が世界に存在しない非常にユニークな施設です。現在の日本の科学力を示す指標の代表株であり、これらの施設の運転が出来なくなれば日本の基礎科学の魅力がなくなってしまいます。

 

すばるは世界に数ある8mクラスの大口径望遠鏡の一つですが、主焦点に装置を取り付けることの出来る唯一のもので、そのお蔭でハッブル望遠鏡の約1000倍、隣のケック望遠鏡の約100倍の視野を持っています。宇宙全体を俯瞰し、最遠方のクェーサー等の稀な天体を見つけたり、天体をトレーサーとして使って統計処理をし宇宙空間そのものの性質を調べるのに最適の最先端施設です。IPMUでも国立天文台、KEK、プリンストン等と共同で、主焦点カメラの視野を更に約10倍大きくする新しいカメラの設計・製作を進めていて、更に数千天体を同時に観測する分光器の提案をまとめているところです。こうして宇宙の暗黒物質の地図作りや暗黒エネルギーの性質決定に、すばる望遠鏡を活用させていただくつもりでした。これは日本発の観測論的宇宙論が世界一に躍り出るまたとないチャンスですが、これを逃すとやっと欧米に追いつきかけてきた現状が再び大きく出遅れます。

 

スーパーカミオカンデは1998年のニュートリノの質量発見という素粒子物理・宇宙論・天体物理に大きな影響を及ぼした大発見だけでなく、大統一理論に最も厳しい制限を与える陽子崩壊、超新星爆発から来る残留ニュートリノ、地球内部にとらわれて消滅する暗黒物質などの探索でも世界でダントツトップの施設です。IPMUでも宇宙線研究所と共同で、将来ガドリニウムの化合物を投入して超新星爆発残留ニュートリノをついに発見できる感度を達成するための準備を進めています。また、東海村のJ-PARC加速器からニュートリノの人工的なビームを射ち、まだ見つかっていない最後の混合角を見つけ、今後のニュートリノ振動の展望を決める重要な結果になると世界中で期待されています。既に約500人の参加者のうち約400人が外国人です。

 

カムランドは東北大学を中心として、スーパーカミオカンデと同様に神岡鉱山内にある世界に類のない施設です。国内に散らばる原子力発電所から出るニュートリノを捕まえ、ニュートリノが一つの種類から別の種類に変わりまた戻って来るという「ニュートリノ振動」を世界で始めて直接観測しました。また、地球内部をニュートリノで直接観測するニュートリノ地球物理学という新しい分野を切り開きました。今は太陽の燃焼のメカニズムを検証するために地球上最高の低放射能の空間を生み出すことに取り組んでおり、更にIPMUも協力して世界で誰も見たことのない物質と反物質が入れ替わる現象に最高感度で探索に取りかかろうとしています。このグループも半数以上がアメリカグループという国際的な研究で、私自身もバークレイのグループを中心にアメリカエネルギー省から予算を取り、国際協力を実現するために貢献してきました。

 

  KEKのKEK-B加速器は競争相手だったスタンフォードのPEP-II加速器の性能を大きくしのぎ、昨年の小林・益川理論のノーベル賞受賞に不可欠なデータを生み出しました。既にスタンフォードの加速器は解体され、この研究を進められるのは世界でKEK-Bのみです。一方、宇宙の物質と反物質の約10億分の一というごくわずかな非対称性がないと宇宙の物質と反物質は対消滅してほとんど空っぽになってしまったはずで、この非対称性が私たちの体を作る物質の起源です。小林・益川理論では必要な非対称性の更に一億分の一億分しか生み出す可能性がなく、小林・益川理論を超える非対称性を創るメカニズムがあるはずです。今後のKEK-Bの運転はこのメカニズムに迫るべく更にデータをためていくことが期待され、最近ドイツのグループも同様の目的を考えている近くのイタリアよりも、現実性の高い日本のプロジェクトに参加を決めています。

 

  東海村のJ-PARCは世界に類のない大強度の陽子加速器です。建設が終わったばかりでまだ本来の性能に達してはいませんが、このような施設の魅力は、アメリカのフェルミ研究所がほとんど同じような施設の建設を提案していることからも明らかです。スーパーカミオカンデへ射ち込むニュートリノビームを作ることの重要性と国際責任は先程述べましたが、加えて物質と反物質の非対称性を生み出す、KEK-Bだけでは調べられない別のメカニズムの探索も行われます。また、大統一理論を検証するためのミューオンを使った世界でユニークな実験も提案されています。IPMUでもこうした実験が探る物理の理論的研究が進められています。

 

 これらの施設は繰り返しますが世界に類のない、明らかに世界トップの施設です。これらの継続運転だけでなく、更なる改良・発展に投資していくことは、国際社会での日本の責任であり、日本の基礎科学のまさしく「看板」です。

 

 私たちIPMUの資金である世界トップレベル研究拠点プログラム (WPI)も縮減対象になっています。2年前日本の国策として海外からの優秀な研究者を日本に呼び、世界で人材を流動させて日本に「世界で目に見える拠点」を作るためにスタートしたプログラムで、海外から非常に注目されていました。最近の調査では、世界の7割以上の研究者がIPMUでの研究に参加することに興味を持っていることがわかっています。一度世界に門戸を拡げると鳴り物入りで宣言しておきながら、すぐさま二年後に門戸を閉ざし始めるというのは日本の世界的信用を大きく傷つけることになります。

 

 私たち研究者もこうしたサイエンスの結果やポテンシャルを更に努力して発信していく必要があります。今までもIPMU、国立天文台、東北大学ニュートリノ科学研究センター、東京大学宇宙線研究所、KEKと協力してアウトリーチに真剣に取り組んできました。興味を持ってこうした研究を応援して下さっている一般の方々も沢山いることに日頃勇気づけられています。人類共通の知を追求する基礎科学の分野で日本が国際的な責任を果たしていくことができるような予算措置を強く訴えます。

 

村山斉  数物連携宇宙研究機構機構長