次元を超えて共通する量子もつれの法則の発見 ~熱的有効理論を用いた新しい量子情報へのアプローチ~

2025年8月6日
東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構 (Kavli IPMU, WPI)


1. 発表概要
九州大学高等研究院の楠亀裕哉准教授(理化学研究所数理創造研究センター客員研究員を兼務)を中心とし、東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構 (Kavli IPMU, WPI) の 大栗博司 (おおぐり ひろし) 教授 (カリフォルニア工科大学教授を兼務) とカリフォルニア工科大学の Sridip Pal 研究員が参加する共同研究グループは、近年素粒子論において高次元理論の解析を大きく前進させた「熱的有効理論」と呼ばれる手法に着目し、この手法を量子情報に導入することで、任意の次元の量子系における量子もつれ(注1)の構造に潜む普遍的振る舞いを見出すことに成功しました。今回の発見は、高次元量子系の数値シミュレーション手法の改良や、量子多体系の分類の新たな指針の提案に役立つことが期待されます。また、量子重力理論(注2)における量子情報的理解の深化にもつながる可能性があり、理論物理・量子情報の両分野において幅広い展開が期待されます。今後は、熱的有効理論のさらなる精密化や一般化を通じて、高次元における量子もつれ構造のより深い理解を目指すことが課題となります。

本研究成果は、米国物理学会の発行する米国物理学専門誌 フィジカル・レビュー・レターズ (Physical Review Letters)のオンライン版に、2025年8月6日(水)午前0時(日本時間)に掲載されました。また、注目論文(Editors’ Suggestion)に選出されました。Editors’ Suggestion は、同誌掲載論文の約6本に1本が選ばれる特別な称号で、特に重要かつ注目に値すると編集者が認めた論文に与えられます。



2. 発表内容
<研究の背景と経緯>
私たちが日常的に扱う古典的な物理の世界では、遠く離れた2つの粒子は基本的に互いに独立に振る舞います。ところが量子の世界では、距離に関係なく2つの粒子が強く相関を持つ場合があります。このような量子特有の相関は「量子もつれ」と呼ばれます。


量子もつれは、量子計算や量子通信といった量子技術の基盤となる現象であり、その構造を理解することは理論的にも応用的にも極めて重要です。この量子もつれの性質を定量的に表す指標のひとつに「Rényi エントロピー(注3)」があります。Rényi エントロピーは、量子状態の複雑さや情報の分布を測るための量であり、量子状態の分類、量子多体系のシミュレーションの実行可能性を評価する上で重要な役割を果たします。さらに、ブラックホールの情報喪失問題(注4)の理解に向けた理論的研究においても Rényi エントロピーは有力な手がかりとして用いられ、量子重力理論において頻繁に登場します。


このように、量子もつれ構造の解明は理論物理と量子情報の双方にとって中心的課題ですが、これまでの研究の多くは1+1次元(注5)に限定されてきました。より高次元になると、量子もつれ構造の解析は急激に難しくなり、既存の数値手法――たとえば密度行列繰り込み群(DMRG)(注6)など――も適用が困難になります(図1)。

本研究では、素粒子論分野で発展した高次元系の理論的解析手法を量子情報理論に応用し、高次元における量子もつれ構造の普遍的な性質を明らかにすることを目指しました。

 

<研究の内容と成果>
共同研究グループは、近年素粒子論において高次元理論の解析を大きく前進させてきた「熱的有効理論」に注目しました。これは、複雑な理論において観測量がごく少数の “支配的なパラメータ” により特徴づけられる場合、その普遍的な振る舞いを抽出するための理論的枠組みです。この枠組みを量子情報の文脈に導入し、高次元量子系における Rényi エントロピーの解析に取り組みました。

Rényi エントロピーは「レプリカ数」というパラメータによって特徴づけられます。共同研究グループは、レプリカ数が小さい領域でのRényi エントロピーの振る舞いが、理論の中で特に重要な物理量であるカシミアエネルギー(注7)など、ごく少数のパラメータによって普遍的に支配されることを明らかにしました。また、この結果を応用することで、量子もつれの詳細な性質を示す「エンタングルメントスペクトラム(注8)」の固有値が大きい領域における振る舞いも明らかにしました。加えて、Rényi エントロピーを測定する際の手法の違いによって、普遍的な振る舞いがどのように変化するかについても明らかにしました。

これらの結果は、1+1次元に限らず任意の時空次元で成立することが示されており、高次元における量子もつれ構造の理解に向けた大きな前進といえます。
 

<今後の展開>
本研究では、高次元における量子もつれ構造の中に潜む普遍的な性質を、熱的有効理論を用いることで明らかにしました。今後の理論的展望としては、熱的有効理論のさらなる一般化や精密化が挙げられます。今回の成果は、高次元の量子もつれ構造の理解に対して熱的有効理論が有効であることを示した初めての例であり、このアプローチにはまだ多くの開拓の余地が残されています。量子情報理論への応用に向けて熱的有効理論を改良することで、高次元における量子もつれの構造の更なる理解が得られると期待されます。

また応用面では、本研究の理論的知見が、高次元量子系の数値シミュレーション手法の改良、量子多体系の新たな分類指針の提案、さらにはブラックホールを含む量子重力理論の量子情報論的な理解へとつながる可能性があり、今後の幅広い発展が期待されます。

 

3. 発表雑誌
雑誌名:  Physical Review Letters
論文タイトル: Universality of Rényi Entropy in Conformal Field Theory
著者: Yuya Kusuki (1, 2, 3), Hirosi Ooguri (4,5), Sridip Pal (4)
著者所属:
1 Institute for Advanced Study, Kyushu University, Fukuoka 819-0395, Japan.
2 Department of Physics, Kyushu University, Fukuoka 819-0395, Japan.
3 RIKEN Interdisciplinary Theoretical and Mathematical Sciences (iTHEMS), Wako, Saitama 351-0198, Japan. 
4 Walter Burke Institute for Theoretical Physics, California Institute of Technology, Pasadena, CA 91125, USA 
5 Kavli Institute for the Physics and Mathematics of the Universe (WPI), University of Tokyo, Kashiwa 277-8583, Japan
DOI: 10.1103/fsg7-bs7q (2025年8月5日掲載)
論文のアブストラクト (Physical Review Lettersのページ)
プレプリント (arXiv.org のページ)
 

4. 用語解説
注1)量子もつれ(Quantum entanglement)
量子状態にある2つ以上の粒子が、互いに物理的に離れていても状態として非局所的に結びついている現象。観測結果が一方に影響を与える可能性を持つ。

注2) 量子重力理論
量子力学と一般相対性理論を統合し、重力の量子的性質を記述する理論の総称。

注3)Rényi エントロピー
情報理論におけるエントロピーの一般化。量子もつれの構造をより詳細に特徴づけることができる。

注4)ブラックホール情報喪失問題
ブラックホールの蒸発過程において、初期状態の情報が最終的に失われるというパラドックス。量子力学と一般相対性理論の統合に関わる重要な問題。

注5)1+1次元
空間1次元、時間1次元の理論。数学的に解析がしやすく、量子もつれ構造の研究でも広く用いられる。

注6)密度行列繰り込み群(DMRG)
主に1次元量子系で高い精度を誇る数値計算手法。高次元系では指数的に困難になる。

注7)カシミアエネルギー(Casimir energy)
真空状態における境界条件などに起因する量子揺らぎによるエネルギー。量子場の物理量として重要。

注8)エンタングルメントスペクトラム
部分系の密度行列の固有値スペクトル。量子もつれの詳細な情報を反映する。Rényiエントロピーはエンタングルメントスペクトラム分布に関する統計的情報を量的に評価している。

 

5. 問い合わせ先
(研究に関すること)
九州大学高等研究院 
准教授 楠亀 裕哉(クスキ ユウヤ)
E-mail:kusuki.yuya_at_phys.kyushu-u.ac.jp
*_at_を@に変更してください

(報道に関する連絡先)
九州大学 広報課
TEL:092-802-2130 
E-mail:koho_at_jimu.kyushu-u.ac.jp
*_at_を@に変更してください

東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構 広報担当 小森真里奈
TEL:04-7136-5977
E-mail:press_at_ipmu.jp 
*_at_を@に変更してください

理化学研究所 広報部 報道担当
TEL:050-3495-0247
E-mail:ex-press_at_ml.riken.jp
*_at_を@に変更してください

 

関連リンク
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