宇宙の左右対称性を破る「宇宙複屈折」を用いた未知の物理現象の探査~高精度な理論計算の実現に成功!

2023年11月2日
東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構 (Kavli IPMU)

 

1. 発表概要
東京大学大学院理学系研究科附属ビッグバン宇宙国際研究センターで研究を行ってきた理学系研究科物理学専攻博士課程1年 の直川史寛 (なおかわ ふみひろ) 大学院生、東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構 (WPI-Kavli IPMU) の 並河 俊弥 (なみかわ としや) 特任助教による共同研究グループは、「宇宙複屈折」と呼ばれる現象に対し「重力レンズ効果」を取り入れた精密な理論計算を実現しました。宇宙複屈折とは、直線偏光した宇宙マイクロ波背景放射 (Cosmic Microwave Background; CMB, 注1) の偏光面が回転する現象です。近年、CMB の精密観測データの解析により、その存在が 99.9 % 以上の確からしさで報告されています。未知の素粒子や新物理探索の手がかりとして注目されており、近い将来予定される、宇宙複屈折の高精度な観測の活用のため、理論計算の精密化が求められていました。そこで直川大学院生らは、精密な理論予測に不可欠な重力レンズ補正を解析的に求め、それを取り入れた計算コードの開発に成功しました。また、このコードを用いて将来得られる水準の模擬的な観測データを作成・解析した結果、宇宙複屈折による未知の素粒子探索において、重力レンズ効果の考慮が必要不可欠であることを示しました。

本研究は、米国物理学会の フィジカル・レビュー・D (Physical Reveiw D) 誌に2023年9月27日付で掲載されました。また、Phsyical Review D 誌より Editors’ Suggestion (注目論文) に選出されました。Editors’ Suggestion は編集者によって、特に重要で興味深く、よく書かれていると判断された論文が選ばれます。

図1. 宇宙複屈折に加え重力レンズ効果を受けたCMB偏光のイメージ図 宇宙初期に生じたCMBの光(左奥)の偏光パターン(図中の白い線)が、宇宙複屈折により回転しながら伝わる。その結果、現在観測されるCMB(右手前)では、黒い線で表されたようなパターンになる。しかし実際には、中間にある宇宙大規模構造が作り出す重力による時空の歪みで光の進路は曲げられ、右手前の白い線で表される偏光パターンが観測される。
(Credit: Naokawa and Namikawa, https://doi.org/10.1103/PhysRevD.108.063525)

 

2. 発表内容
「宇宙はどこまで広がっているのか?」「宇宙はいつどのように始まったのか?」このような疑問に挑む宇宙論は、基礎物理学に基づく宇宙の理論モデルを、観測的に実証することで前進してきました。現在広く受け入れられている標準宇宙論 (ΛCDMモデル (注2) ) は、CMB や Ia 型超新星、遠方銀河の観測などにより実証されてきました。一方で、ΛCDM モデルには、素粒子標準模型など現在知られている物理理論では説明できない謎が多く残されています。暗黒物質や暗黒エネルギーの存在は、その代表例です。日々、新たな理論モデルが構築され、その実証のためにより精度の高い観測や実験が進められています。

2020年、南雄人氏 (当時:大阪大学核物理研究センター) と Kavli IPMU シニアフェローを兼ねる小松英一郎氏 (マックス・プランク宇宙物理学研究所所長) の研究成果において、CMB の観測データから、新たに興味深い現象が報告されました (2020年11月24日 Kavli IPMU プレスリリース記事 「宇宙マイクロ波背景放射の偏光に「パリティ対称性」を破る新しい物理の兆候を観測 -暗黒エネルギーの正体解明の糸口になるか?-」を参照)。その現象は宇宙複屈折と呼ばれ、CMBの「偏光」に関する現象です。光は一般に波の性質を持ち、ぴんと張ったロープを揺らしたときに伝わる波のように、進行方向に対して垂直に振動します。これを「偏光」と呼びます。通常、光が進む間、偏光の向きは一定ですが、特別な環境下では回転することが知られています。プランク宇宙望遠鏡が過去に取得した CMB の偏光データを精密に再解析した結果、CMB の光も宇宙初期に放たれてから現在までの間に、わずかに偏光の向きが回転している可能性が報告されたのです。これが「宇宙複屈折」です。

宇宙複屈折は、現在知られている物理学の理論では説明が極めて難しく、その背後には未知の物理現象が潜んでいると期待されています。特に有力な候補が、未知の素粒子アクシオン (注3) です。アクシオンは光子と反応し、偏光の向きを回転させることが理論的に知られています。よって、宇宙全体にアクシオンが一様に分布していれば、報告された宇宙複屈折の説明が可能です。さらに、このようなアクシオンは暗黒物質や暗黒エネルギーの役割を果たす可能性もあります。 

今後、さらに精度の良い宇宙複屈折の観測を行うことで、アクシオンなど宇宙複屈折を引き起こす物理の正体に迫ることができます。将来、CMB のさらなる精密偏光観測は、サイモンズ天文台 (Simons Observatory) や日本主導の LiteBIRD によって実現される予定で、宇宙複屈折の観測は大幅な精度向上が見込まれます。これら将来プロジェクトによる宇宙複屈折の高精度な観測データと、理論的に計算したシグナルを比較することで、アクシオンの質量や光との反応しやすさなどの素性に詳細に迫ることができます。そのためには、理論計算の精度の向上も不可欠ですが、これまでの計算では「重力レンズ」と呼ばれる効果が取り入れられておらず、十分な精度の計算が行われていませんでした。

重力レンズとは以下のような現象です。光は原則として宇宙空間を真っ直ぐに進行します。しかしブラックホールや暗黒物質などの重力源がある場合、周りの時空が歪められ、光の進路はわずかに曲げられます。これを重力レンズと呼びます。CMB の光も宇宙空間に分布する暗黒物質によって重力レンズ効果を受けます。CMB の精密な理論計算を行う際は、重力レンズ効果も取り入れた計算を行う必要があり、標準宇宙論の枠内では計算方法が確立しています。

しかし、宇宙複屈折のような標準宇宙論を超える枠組みでは、回転角が一定で定数となる特殊な場合を除き、重力レンズ補正の方法が確立していませんでした。将来の CMB 実験におけるデータ解析では重力レンズが重要な役割を果たすため、宇宙複屈折の解析においても重力レンズ補正が必要となります。

そこで直川大学院生らは、重力レンズ効果を取り入れた宇宙複屈折の理論計算を確立し、将来の解析で必須となる、重力レンズ効果を含んだ宇宙複屈折の数値計算コードの開発に取り組みました。


<研究手法・成果>
直川大学院生らはまず、宇宙複屈折のシグナルが重力レンズ効果によって、どのように変化するかを表す解析的な計算式を求めました。得られた式に基づき、重力レンズ補正を行うプログラムを 中塚洋佑氏 (当時:宇宙線研究所) らによる先行研究 Nakatsuka et al. (2022) で開発された計算コードに追加し、宇宙複屈折に対する重力レンズ補正計算を、世界に先駆けて実現しました。

開発した計算コードを用いて、重力レンズ補正の有無によるシグナルの違いを調べました。その結果、サイモンズ天文台など将来の地上観測を想定した場合、仮に重力レンズを無視すると、観測される宇宙複屈折のシグナルは理論予言でうまくフィッティングできず、そのような理論は統計的に排除されます。すなわち、将来観測される宇宙複屈折効果のシグナルは、重力レンズ効果を入れないとうまく説明できません。

さらに、将来観測で得られる観測データを模擬的に生成しました。その模擬的なデータを用いて、宇宙複屈折を用いたアクシオンの探索において重力レンズ効果がもたらす影響を調べました。その結果、仮に重力レンズ効果を考慮しないと、観測データから推定されるアクシオンのモデル・パラメータには統計的に有意な系統誤差が生じることが分かりました。つまり重力レンズ補正無しでは、誤ったアクシオンモデルを得ることになります。

以上より、将来の高精度な宇宙複屈折の観測とその分析において、今回開発した重力レンズ補正ツールは必要不可欠であることが分かりました。

図2. 重力レンズ効果の有無による宇宙複屈折シグナルの違い 、重力レンズ効果の有無による違いを調べた。青色の点は、重力レンズ効果を無視した場合のシグナル。赤色の点は重力レンズ効果を考慮した場合のシグナルである。また、赤色の誤差棒はCMBの将来観測計画であるサイモンズ天文台で観測した際に想定される観測誤差である。重力レンズの有無によるシグナルの違いは、観測誤差に対して無視できない大きさである。
F. Naokawa & T. Namikawa “Gravitational lensing effect on cosmic birefringence”, Phys. Rev. D 108, 063525, Copyright (2023) the American Physical Society 
https://doi.org/10.1103/PhysRevD.108.063525 より抜粋、一部改変。


<波及効果、今後の予定>
宇宙複屈折を用いた新物理探索は既に幕を開けています。実際、2022年には宇宙複屈折を活用して、初期暗黒エネルギー (注4) の探索が高精度で行えることが理論的に示されました。その後、2023年にはプランク宇宙望遠鏡の観測データを用いて実際にその探索を行った結果、初期暗黒エネルギーが宇宙複屈折を引き起こす証拠は見つかりませんでした。この両研究において、直川大学院生らが今回開発した重力レンズ補正ツールが既に活用されています。

また、今後数年のうちに新たな CMB 偏光観測データが提供される予定です。例えばアタカマ宇宙論望遠鏡 (Atacama Cosmology Telescope; ACT) による新たなデータリリースが近いうちに行われる予定であり、直川大学院生らは今回開発したコードを用いたデータ解析を計画しています。さらにサイモンズ天文台など次世代の将来計画が世界中で進行中であり、宇宙複屈折の解析において、本研究で開発した重力レンズ補正ツールは大いに活用される予定です。

図3. チリで建設中のサイモンズ天文台 小口径望遠鏡ではまもなく本格的な観測が始動する。(Credit: Debra Kellner)


3. 用語解説
(注1) 宇宙マイクロ波背景放射
宇宙誕生から約37万年後頃、ビッグバン後に宇宙が次第に冷えた後に、宇宙全体を満たすように放射された光。宇宙膨張の影響を受けて波長が伸び、現在は電波の波長で観測される。宇宙マイクロ波背景放射の観測はビッグバン宇宙論の証拠として、また、その強度分布や偏光分布の観測は標準宇宙モデルの確立に大きく貢献した。

(注2) ΛCDM (ラムダ シーディーエム) モデル
暗黒エネルギー (Λと表現される) と冷たい暗黒物質 (Cold Dark Matter : CDM) の存在を前提とした宇宙モデル。暗黒エネルギーと暗黒物質の正体は依然不明であるが、多くの観測的事実によってそれらの存在が明らかとなっている。それを基にしたΛCDMモデルは現在得られている観測事実の説明に最も成功しているモデルであり、標準的な宇宙モデルとして受け入れられている。

(注3) アクシオン
素粒子標準模型には存在しない未知の素粒子。元々は量子色力学 (QCD) と呼ばれる分野の「強いCP問題」を解決するために考え出された素粒子をアクシオンと呼ぶ(この場合は特にQCDアクシオンとも呼ばれる)。そのQCDアクシオンと同様の特性を持った素粒子をアクシオン様粒子 (Axion-Like Particle : ALP) と呼び、暗黒物質や暗黒エネルギーの候補として、現在精力的に探索が進められている。本稿でのアクシオンはこのALPのことを指しているが、本文中では単にアクシオンと表記した。

(注4) 初期暗黒エネルギー
宇宙の初期に存在し、現在はその影響が無視できるような暗黒エネルギー。現在の宇宙の加速膨張の起源とされ、存在が広く受け入れられている暗黒エネルギーとは別物。現状、初期暗黒エネルギーの存在を示す証拠は無いが、もし存在すればハッブル定数問題 (観測手法によってハッブル定数の値に有意なずれが生じている問題) を解決できると期待されている。


4. 発表雑誌
雑誌名:Physical Review D
論文タイトル:Gravitational lensing effect on cosmic birefringence
著者:Fumihiro Naokawa (1,2) and Toshiya Namikawa (3,4)
著者所属:
1. Department of Physics, Graduate School of Science, The University of Tokyo, Bunkyo-ku, Tokyo 113-0033, Japan
2. Research Center for the Early Universe, The University of Tokyo, Bunkyo-ku, Tokyo 113-0033, Japan
3. Kavli Institute for the Physics and Mathematics of the Universe (Kavli IPMU, WPI), The University of Tokyo, Chiba 277-8583, Japan
4. Center for Data-Driven Discovery, Kavli IPMU (WPI), UTIAS, The University of Tokyo, Kashiwa, 277-8583, Japan

DOI : https://doi.org/10.1103/PhysRevD.108.063525
論文のアブストラクト (Physical Review D のページ)
プレプリント (arXiv.org のページ)


5. 問い合せ先
(研究内容について)
直川 史寛 (なおかわ ふみひろ)
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻 / 東京大学大学院理学系研究科附属ビッグバン宇宙国際研究センター
博士課程1年
E-mail : fumihiro.naokawa_at_resceu.s.u-tokyo.ac.jp
*_at_を@に変更してください

並河 俊弥 (なみかわ としや) 
東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構 特任助教 
E-mail: toshiya.namikawa_at_ipmu.jp 
*_at_を@に変更してください

(報道に関する連絡先)
東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構 広報担当 
小森 真里奈
E-mail:press_at_ipmu.jp
TEL: 04-7136-5977
*_at_を@に変更してください